誰にでも、それぞれの…

IMAGE: Everyone has their own "Auschwitz"; everyone has their own confrontation with this suffering that cannot be easily resolved. And that is the worst thing that has happened to the person in their lives.

誰にでも、それぞれの「アウシュヴィッツ」があり; 誰もが、容易に解決できない苦しみと向き合っている。そしてそれは、その人にとって人生最悪の出来事なのだ。 – ヴィクトール・E・フランクル (1905 – 97):『こころの時代(NHK教育テレビジョン)』2024年9月15日(日)放送分(ヴィクトール・フランクルの孫アレクサンダー・ヴェセリーによる祖父の言葉の引用) (Ron PorterによるPixabayからの画像) (Google Translateのエンジンを使用した、Sound of Textによるテキスト読み上げ) More »

宗教は言語のような…

IMAGE: Religions are like languages. There is no language that is better than another. There is no language that is more right, more correct than another. Languages are different (from each other) and you can speak the truth or lie in any language. So it's what you do with it. And the same is true for religion: you can misuse it or you can take see the value in it.

宗教は言語のようなものだ。他より優れた言語などない。他より正しい言語などない。言語は(それぞれ)異なり、かつどの言語でも真実を話すことも嘘をつくこともできる。つまり、どう使うかだ。宗教も同じ: 悪用することもできるし、価値を見出すこともできる。 – ヴィクトール・E・フランクル (1905 – 97): 『こころの時代(NHK教育テレビジョン)』2024年8月18日(日)放送分(ヴィクトール・フランクルの孫アレクサンダー・ヴェセリーによる祖父の言葉の引用) (Małgorzata TomczakによるPixabayからの画像) (Google Translateのエンジンを使用した、Sound of Textによるテキスト読み上げ) More »

強制収容所に生きた…

IMAGE: We who lived in concentration camps can remember the men who walked through the huts comforting others, giving away their last piece of bread. They may have been few in number, but they offer sufficient proof that everything can be taken from a man but one thing: the last of (the) human freedoms -- to choose one's attitude in any given set of circumstances -- to choose one's own way.

強制収容所に生きた私たちの脳裏に今も浮かぶ。粗末な小屋を歩いて回り、他人を元気づけ、最後の一切れとなったパンを惜しみなく分け与えていた人々。数にすればごく一部の人たちだったかも知れないが、それでも彼らは十分証明してくれている。人間から何もかも奪い取ろうとして最後に一つ、どうしても奪い切れないものがあることを。それは、人間として最後に残された自由だ――与えられた環境がどうあれ、その中で自らの態度を自らの意思で選び取る自由――自身の生き方を自身で選択する自由だ。 – ヴィクトール・E・フランクル (1905 – 97): 『…それでも人生にイエスと言う: ある心理学者の強制収容所体験[夜と霧]』 More »

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